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四方山日記
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■四方山(よもやま)日記
・よもやま【四方山】
1.《「よもやも(四方八方)」の音変化か》世間。また、世間のさまざまなこと。「―の話をする」
2.四方にある山。周囲の山々。
出典:大辞泉
平成21年3月31日
春が来た!
春爛漫、桜は満開!
しかし、今は何かしら切ない気持ちもある。
やっと慣れ親しんだところをまた後にしなければならない。
このまま、九州にゆっくり落ち着いてみようと思ったことは数かぞえきれない。
そう思うと、春は、やはり残酷である。それ故に、否、だからこそ一縷の希望と無謀な冒険心でまた次の扉を抉じ開けてみようと思う。
会員の皆様、よちよち歩きを始めたわがNPO法人の行方を見守っていただき有難うございました。
今後もどうぞ会にお力添えをお与え下さい。有難うございました。 三苫 英太郎
平成21年2月6日
早春賦
春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時に非ずと 声も立てず 時に非ずと 声も立てず
今頃の季節によくあった恐らく雪深い北国を情景とした古い歌であろう。
小さい頃、学校で習ったような気もするが記憶定かでない。むしろテレビで森繁久弥が独特の節回しで歌っているのを聞いたのが印象に深い。
鶯は、山に入ればほぼ年中鳴き声を聞くこともできるが、確かにまだ今の時期には聞けそうで聞けない。
さて、2番の歌詞
"氷解けさり 葦は角組む"
の意味が最近まで良く解らなかった。辞書を引いて角組むとは芽を出すことと解ったのでそれでは足でなく葦だと漸く解った。続いて、
"さては時ぞと 思うあやにく"
のあやにく、これは、「生憎(あやにく、あいにく)」の意味で、まだ雪の空では残念ながら鳴き始められない。
インターネットでこの曲まで入ったものがあるが、メロディーを繰り返し口ずさめば味がある名歌であると思う。
平成20年10月16日
ついで隊(その3)
空き缶や空のペットボトルは、側溝だけでなく、花壇や路地の空き地、駐車場と所選ばずに投げ捨てられている。中には、ビニール袋の幾つか纏めてポイ捨てされたり、電車の窓枠の上にも置き去りにされていたりする。
一番タチの悪いのは、飲み物の残りで腐って異様な臭気のもの、ベトベトのタバコの吸殻が入っていて臭いばかりでなく容易に外に取り出せないものまである。いい加減にしてくれと言いたくなる。
最近のことだが、リアカーを引いて空き缶などを拾い集め、市役所等に捨てる場所を指定してもらいながら、全国各地を回る計画を立て、熊本を出発するという人が朝日新聞かなにかで紹介されていた。この人など、「ついで」ではなく、本業としてか、否、生活そのものかボランティァ行為かは詳細は知らないが、多分数年かけてやるのだろう。
思い切ったことをやる人だと感心した。福岡を通るとき声を掛けたくなってきた。
平成20年8月29日
ついで隊(その2)
かの腕章は黄の蛍光色で上着やシャツの腕に巻きピンで留めるようになっているが、最初の頃付けるのにちょっと苦労した。右腕に巻こうとしたとき利き手と違う左手ではうまく留まらない。
また走っているとシャツについた汗でずり落ちてきて一部が直接腕に触れて気になる。そこで、下腹部のジョッギングパンツのゴムに一端を挟んで走ってみたり、通勤時はかばんのベルトに掛けたりもするが、秋以降の長袖に付けるまではしっくり収まる場所がない。
さて、肝心の効用は? すれ違う人がちらっと腕章に視線をおくるのを少し意識する。また、同じ腕章を身に付けて散歩していたりする人をこちらが見ればほっとして仲間意識を感じる。
それだけか?
暫くして、腕章をつけ休日に人通りの少ない道路を走っていると側溝や路肩に空き缶や空のペットボトルやゴミなどが投げ捨ててあるのが気になってきた。
一つ空き缶を拾ってみた。 少し行くと、またあった。そのうちに両手の指先だけで持てるぎりぎりの数まできた。容れる袋が次回は要ると思いながらも、さて、行く先の自販機脇の回収箱は何処にあるのだろう?
平成20年8月1日
最近のニュースでは暗いものが多く、特に、刃物による無差別の殺傷事件などがテレビにでると最後まで見たい気がせずスウィッチを切りたくなる。
昨年9月、私が住む福岡県筑紫野市では旧筑紫郡に属した近隣市町(春日市、大野城市、太宰府市、那賀川町)とともに「筑紫地区防犯協会」を発足させた。
昨今、他人のことには干渉せずが行き過ぎてばらばらになってしまった共同体を、「地域防犯」という形で子ども達を守り、不審者を牽制しようという試みである。
手続きは簡単で、志願者は市役所で住所・氏名等を名乗り、200円払って黄色い蛍光色の「腕章」と「三角形のワッペン(胸にピンで留める)」をもらう。要は、外出時、取り分け、通勤時や散歩やジョッギングなどのときにこれらを付けて、「世間の目」となってそれとなく見張って事件や不祥事を未然に防ごうということである。
ある日、御笠川べりをゆっくり走っていたとき、このワッペンを背負ったバックパッカーに付けた人が前を歩いていたので声をかけてみた。遠くから見ても蛍光色の反射で光って見えるのですこし気になったのだ。聞けば、折角の散歩だけでなく「ついで隊」でなにかお役に立ちたいということでこれに加わったという。しばらくの間、あれこれ考えた挙句私も市役所に向かった。
平成20年7月12日
対馬・壱岐キャンペーン
長崎県でのキャラバン隊は、今、フル回転である。
6日の日曜日に、「国境マラソンin 対馬2008」に参加した。朝は曇り空であったがスタートして気温が次第に暑くなった。
会場は対馬の最北端のアップダウンの多いハーフマラソンと10KMのコース。「青年海外協力隊」と胸と背中に大きく書き込んだ揃いのTシャツを着て10人全員で駆け抜けた。(ブログ参照)沿道での声援も「協力隊!」と励ましてくれ背中を押された気がした。
翌日7日は対馬市長、8日は壱岐市副市長への表敬訪問であった。幸いその時に取材にきてもらった西日本新聞の記者のご紹介で、壱岐では壱岐高等学校の校長室にも足を運ぶことが出来た。これは当初の想定外であったが、校長先生が突然の訪問にも拘らず、とても清々しい対応をして下さったためか今後も高等学校へのキャンペーンもいけそうだと手ごたえを感じた。
平成20年6月12日
梅雨の合間
関西や九州南部より遅れた入梅宣言を今週の初めに聞いた。予報どおり、北部九州、福岡地方は昨日一日中雨であった。
そして、今朝は早くから青空が一面に広がって日差しが眩しいくらいである。
昼休みにコンビニに昼食のおにぎりご飯を買いに行くと、周りのビルやオフィスがら食事にでてきたサラリーマンの白いシャツが鮮やかに目に飛び込んできた。
良く見るとそのほとんどがまだ長袖である。つい少し前までは、かなり半袖が増えかけていたのだが。
入梅して雨で気温が少し下がり思い切った衣替えにはまだ早かったのか。菖蒲と紫陽花が日増しに冴えて美しい見頃の今、わが「キャラバン隊」は大分県北部から西部に移りそこに済むOBOG達を訪ねながら日田玖珠地区を回っている。
今日こそは かの紫の はなびらを こ走り行きて しばし眺めん (大宰府の菖蒲池へ)
平成20年5月7日
風薫る
今年のGWの連休は無計画でゆっくり過ごしたいと思っていたが、5月4日だけは別だった。
その日、篠栗の近くの若杉山から下りて入った温泉の露天風呂で肌に触れていった薫風はこの上もなく爽やかであった。ブナやシデの若葉に椎の木の花粉のにおい、散り始めた石楠花や群生するかのような藪椿をくぐって、早朝から宝満山、三郡山、砥石山を縦走してきた後だけに充実した気持ちもあったからかもしれない。
一昨年、この最後の若杉山を前にして、ショウケ峠で何故か宇美町方面への道に進路を変えてしまったから、今度こそは予定通り踏破してやろうと思っていた。その意味で若杉での温泉はおまけであった。稜線上での強い風も、湯治場では穏やかであった。
GWも去ってキャラバン隊は、昨日、鹿児島から宮崎に移った。
春募集もいよいよ終わりに近い。応募をする方は、今春にゆっくり考えて頂いただろうか?或いは「今春見す見す又過ぐ」か?そんなことを思いながら夏のこと、秋のことが頭の隅にちらちら浮かんできた。
平成20年4月3日
7世紀後半に建てられた大宰府政庁の跡地は、現在はぽっかりと平べったくて広い空間である。 朱雀大橋を渡って都府楼前に近づくとそのぽっかりと広い緑の空間が益々広くなる。 はるか奥のほうには集落や公園があったり、散歩道があったりして至極のんびりとした佇まいである。 また、その背後には岩屋城跡や大野城跡をもつ低い山並みが屏風のように控えている。
広場に近い展示館の直ぐ脇に一つ万葉歌碑を見つけた。
あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の 薫(にお)うが如く 今さかりなり
小野老(おののおゆ)
と、歌碑にあった。
目を再び広場の左手に移すと、咲き乱れる大振りの枝が横に拡がり、今はまだ七・八分咲きの大木の桜並木が今週末の花見客を待つかのように春風にゆったりとなびいている。
平成20年3月5日
「キャラバン隊」いよいよスタート!
大寒過ぎ梅香楽しむ三寒四温、月替わり週が明ければ黄砂舞う。九州各地で雨が忘れ雪に変わるその翌朝に、熊本からキャラバン隊がスタートのときを迎えた。4週間かけて県下の48全市町村を全部回る計画である。
共に無事故を祈ろう! 広報・交流の成果を願おう! そして、他県で回る教訓を得よう!
先ずは、県庁表敬による出陣、次いで合志市、植木町、玉東町と繋ぐ。午後には晴れた田原坂を越える。全部回ってキャラバン最後は桜花爛漫熊本城下「SAKURA祭り」に踊るように流れ込むのを夢見ながら。
キャラバン隊 城下の桜も期待する
としを
平成20年2月1日
”春遠からじ”
地球温暖化が喧伝される中、今年の冬は案外普通に寒かったような気がする。
だが、時々暖かい日があったせいだろうか、先月半ばでもところどころに梅の花が開き始めていた。ある朝、雨上がりの後またあの公園の片隅で芽を出した草を追っかけていると小鳥の声がする。
ふと、前を見上げよく観るとメジロが小ぶりのウメノキで数羽楽しそうに囀り、咲きかけた梅の花の蜜を啄ばんでいるではないか。
寒い澄んだ青空に白梅の花びらが朝日をうけてきらりと輝いた。小鳥は一瞬のうちにどこかに去ったが、えもいわず嬉しさがこみあげた!
見上ぐれば メジロさえずり 初春謳う 三分の白梅 和して輝く
平成20年1月7日
改めて「ボランティァ」考
新年明けましておめでとうございます。
昭和50年代初頭、発足10年余を経て青年海外協力隊論が「ボランティァ・スピリット」という単行本に纏められた。著者は、協力隊事務局長を終え、中国公使に転出された故伴正一氏である。この本は、味わい深くよく練られて簡潔な文章であるため、絶版になった後も有志等によって復刻され細く息の長いロングセラーとなっている。
後書きで、そもそも、「ボランティァ」の語源がヨーロッパの「義勇兵・志願兵」に発していることから、何かしっくりしなくて本のタイトルに付けるのに納得がいかなかったが、出版する講談社から本が売れるためにはこのタイトルしかないというような説得で不承不承つけたと正直に述べられている。
当時もう既に「奉仕」、「貢献」とか「自助自願」とか漢字では表現しにくい時代に入っていたからでもある。禅では「諸善奉行」との表現もあるがそれでは益々現代には通用しにくい。このように、日本の伝統や仏教、儒教の実践論の中には、言葉を代えてみれば容易にわかる「ボランティァ」は、昔から確かに存在している。
戦後の復興期から経済発展を経て、「衣食足りて礼節を知る」べき時代に入ったその当時からしばらくして、「ボランティァ」が学校の授業や大学での単位に組み込まれ、カタカナ表記の日本語の一つとして、今や市民権を得、平成7年1月の”神戸・淡路大震災”の被災者救援活動が「ボランティア元年」言われてと定着した。平成12年には、国連で日本の首相の提唱によって「国際ボランティァ年」まで実現するに至った。
だが、それでも、「ボランテイア」という表現は、多少の気楽さが前面に出すぎて、戦後生まれの私でも、まだ、何か面映い気持ちが少し残る。
それは、伝統的な解釈として、本来的には無償行為への憧れや秘匿性、所謂不言実行・下座の行などが相当に意識され、やっていることは、「ボランティァ」というにはおこがましいと恥ずかしさを覚えるときでもある。
さて、私が支援する国際協力機構(JICA)が毎年70カ国以上に約1,500人派遣する青年海外協力隊・シニア海外ボランティァ事業は、各人の「職業」を通して現地の人々と一緒に途上国の国づくり・人づくりに2年間の生活を費やそうという日本政府資金による「ボランテイア」事業である。そこには、無論、参加者即ち志願者の気持ちの整理の仕方次第で、人道的なものに重心をおいたり、技術教育・技術移転型があったり、理論としては「情けは人の為ならず」もあれば、広くソフトな安全保障論までにも拡大されうる。実践においては、「小我」から「大我」に向け如何に小さな自分であるか再確認の場ともなるし、帰国してみれば、途上国での現実があまりにもかけ離れている現在の日本を振り返る鏡となる。
地球規模での環境問題や人道主義を念頭に絶えずおきつつも、「修身斉家治国平天下」の順逆二方向の正確な解釈を忘れてしまいがちな昨今の世相や情報氾濫の中で、2ヶ月の派遣前訓練で、相手の立場に立つため毎日現地語の習得をしつつ、これら訓練所特有の「ボランティァ」哲学論を反芻する。
明日から、また、長野県駒ヶ根市と福島県二本松市にある訓練所で、青壮一体の冬の「君汲川流我拾薪」の起居が始まる。 (元青年海外協力隊員・JICA広尾訓練所長)
平成19年12月26日
”草むしり(その4)”
もう、思い立って始めてからかれこれ一月以上になる。仮令、一年ぐらいかけてもやろうと思いながら始めてはみたが、ある日、行ってみると驚かされた。
確か2,3日前まであれほど荒れて草ぼうぼうだった公園一面から草が消えていたのだ。やれやれ、内心ほっとし、救いが入って助かったと思った。また反面、何故?と思って草の無くなった人影の無いその辺りを歩いてみた。
誰かが、一気に草取りをしたらしい。それも、何か機械を使ってさっさとやってしまったようだ。しゃがんでよく観るとそこらに草の上っ面だけ引っかいたような所が多い。だが、周囲の躑躅の花壇の中の草には何も手付かずで、近づくとその実が着ているものにはなんでも纏わりつくあの草の一群も健在だった。
犯人はやがてわかった。公園の入り口の脇に半透明のビニール袋が幾つも堆く積まれてあり、袋には大宰府市のごみ収集専用袋で「ボランティァ」云々と印字してある。清掃の請負仕事だったのだろう。
これなら全部を仕上げるのに一年も要らない。清掃人が急いで取った結果取り残した根のついた部分だけを抜いていけばよいのだから気が楽になった。
「草を取った後をみればその人がわかる。」と、幼い頃に言われたことを思い出しながらも、こうして、草との根競べと思ったこの晩秋の気負いは案外早く片付きそうである。
今年も、皆様に大変お世話になり有難うございました。来る年もまた良い年でありますように!
平成19年12月5日
”草むしり(その3)”
日差しがまだ暖かいある日曜日の午後、小さい子どもがよく遊ぶ砂場とその脇にある滑り台の周りに進んでいった。
人の足が頻繁に踏みつけるところでは葉が白っぽく枯れかかったようにみえるが、案外、根が地中にしっかりとはっており根元の土を少し掘って指先に力を入れなければ根ごとには抜けない。
草の種類も場所によって異なる。滑り台の下などは、土もふわふわして容易に抜ける。
7-8歳ぐらいの女の子が近づいてきて、数人で滑り始めた。誰かの幼い妹らしい子は、一人砂場で砂いじりをする。
私は、黙って草をとる。彼等は私がいるのかどうか無関係に、遊びに熱中し始めた。ふと、ませた会話を小耳に飛び込んだ。
「誰さんと誰さんは結婚してるって!」
そういえば、昔幼稚園児をバスで送迎していたころの女の子の会話も、喧しく母親そっくりの物まね調であった。
やがて日が西に傾き静かになった。子どもたちはどこかに消えた。抜いた草をビニール袋にいれ、桜の木の根元に運び周りに積み上げた。
平成19年12月3日
”草むしり(その2)”
この”草むしり”は5回ぐらい書けるはずであった。だが、今回限りとなるかも知れぬ。
かの公園での草を抜くしゃがんで足腰を鍛える運動は、ずっと続けていた。とはいっても、一回30分から一時間である。そこには誰もいないときもあれば、小さな小学生児童と一緒のこともある。時には、若い親が幼稚園児を連れてきたり、お祖父さんが孫を遊ばせていることもある。
草は、公園敷地の真ん中には少なく、周辺部に行くほど繁っており草丈も伸びている。当初は、水道蛇口の所から始めたが、しゃがんでみると結構広く前に横に広がっている。一人の作業としてはあまりに広いので、「無計画」の「計画」を念じて、今日はあのベンチの前まで、次は左の躑躅の生垣の前まで、と適当にその日その日で目標を決めた。
そうして、何回目か終わったある日、このペースで行けば何日かかり、何時ごろ終わるのか試算しようとした。が、愕然とした。というのは一年ぐらいはかかりそうだからである・・・。それも、しかし、仕方が無いと観念した。だったら続けるほかに方法が無い。
一通りその日に課したノルマを終えるころには、走った後流れていた汗も引っ込み身体も冷えてくる。さて、と手を洗い水を飲んで公園から出て、後2キロ再びジョッギング開始である。
あっ! 走れない。足が上がらず腰がずっしりと重い。暫くは走る気になれない。
そういえば、高杉晋作が創設した農民上がりの長州奇兵隊員は走ったことも無く当初走れなかったという意味が少しわかった。
平成19年11月12日
”草むしり(その1)”
何時の頃だったかは忘れたが、家から近い広い原っぱが拡がる大宰府政庁跡の前には、東西に約2キロ長く伸びる歩道つきの道路がある。また、その道路と並行して少し離れてはいるが御笠川が流れ、両脇の歩道には桜の木やコスモス、紫陽花などが植わっている。
この半年、そこは、しばしば、朝夕や土日にゆっくり走るコースの一つとなった。
犬を連れて散歩する人、偶に近くの学校の運動クラブの学生、時間帯によっては通学の学童が行き交う。夏の昼間など暑かった時は日差しを避けてなるべく街路樹の下や物陰に入り、この頃の夕方のように風が冷たく感じられるようになると弱い西日がゆっくり落ちるようにと陽だまりを求めて走る。走っていると、途中で喉が渇いたり、トイレを求めることがよくある。
2−3週間も前だっただろうか、ある夜、公園に立ち寄って水道の蛇口を捻り顔を洗って口を漱いだ。午後10時を過ぎていただろうか、誰もいない防犯灯が照らす、その小さな公園には、滑り台に砂場、遠くにブランコなどがあってあちこちの隅には朽ちかけた木製ベンチがある。
一息入れてまた走り出そうとすると、不意に辺り一面に広がる枯れかかった雑草が気になったので、しゃがんで引っ張ると砂地のせいか根がすっと抜けた。
平成19年10月11日
”消化未了”
最近、とある勉強会の読書感想文を求められた。「ウエブ社会の思想」(鈴木謙介著、NHK出版、2007.4)なる本で、本屋に買いに行ったが、取り寄せるまでに一週間ぐらいはかかると言われて止めた。そこで、家内にいつも行く市の図書館で序でに借りれないかと頼んでおいたところ、2日後容易に手に入れることが出来た。
さて、手には入ったものの、副題が”<偏在する私>をどう生きるか”とあり、中をペラペラ数ページめくってみたが、すっと頭に入らない。提出締切日までは、暫く時間があるので、提出間際に集中して読もうと打っちゃっておいた。
問題先送りの付けは、直ぐにやってきた。締切日にあとがきや最終章、第一章を、後で中の章をと読み進めてはみたものの、ユビキタス社会到来云々とか、ウエブ社会とネット民主主義とか、一字一句の横文字の洪水はまるでとらえどころがない。観念してこの種の本や内容には元々アレルギーがあるからと正直に感想文に書き、理解不能、消化未了と匙を投げて、恥を覚悟で提出した。
読書の秋とはいえ、気楽に自分の好む本だけ読むのは、「ウエブ社会」に益々馴染まなくなるかもと脅えつつ。
平成19年9月3日
今年の夏は例年になく暑かった。これまでの日本列島の日中気温の最高記録も更新され、連続真夏日も各地でしかも長く続いたことで、「地球温暖化」は文字通り進行しているのではないかと肌身で感じたような気がする。
「地球温暖化」の推論やメカニズムは、もうかなりの確度で証明されてきたのではないかと思われる。
人類が、この産業革命以降の化石燃料大量消費によって、莫大なエネルギーを得た反面、その付けが環境を急速に変えて、自身の生存すらも危ういものにしていくという途方も無い因果を考えると、溜息が出て実際無力感に襲われることがある。
でも、因果と言い切らずも、科学的には解決法があるとなれば何とかしなければと思う。CO2削減努力の合言葉も、あちこちで急速に話題になった。せめて身の回りの小さなことから取り組むしかないのだが。
猛暑去る 涼をもらいし 苦瓜の 蔓葉剥がして 最後の実取る
平成19年8月2日
台風5号が接近し、気象予報では九州ももうじき夕方頃から大雨と暴風雨になるという。
姿を見せず声だけ大きい蝉が、今朝に限って、木の葉の繁った桜や欅の並木の間を何匹も追いかけあうように飛び回っている。これも台風の来る前の生態かと思ったが、実のところは分からない。
台風といえば、先月半ばの4号では予定が狂わされてしまった。丁度、上京の帰途、信州に立ち寄って、14、15、16日の三連休に古くからの仲間と御岳温泉に集まり、何人かで御岳山に登ることになっていたが、台風直撃の予想のため、無理は出来ないとして、幹事は13日に中止を決定したのである。
そこで、中央線辰野町に住む協力隊同期の夫妻の家で、囲碁を打ったり、いろいろな話を聞いたり、手自慢の料理を頂いたりしながら、台風の行方を見守ることにした。
14日も、しかし、午後になると遠州沖を通過していたようで、日が照り始めてきたのだ。軽く、近くの農道でジョギングを始める。
ニュートンの りんご転がる 畑見る 駿河の沖か 台風過ぎるは
空を眺め雲を追いながら、立ち止まって御岳ロープウエイに携帯から電話し、学生時代の旧友を尋ね、一日遅れで単独でも登ることを決め、暇乞いして電車で木曽福島へと急いだ。
翌朝、ロープウエイの終着駅の7合目から一気に登った。2年前、上り下りの往復の時間が取れなく、解けていない雪がまだ多く残っており、おまけに滑りやすい運動靴を履いていたため8合目付近で引き返さざるを得ない苦い記憶が道を急がせた。
御岳山は現在でも信仰の山で、御岳教の本山があり、その昔は女人禁制だったらしい。途中で、前の晩に頂上付近の山小屋に泊まって山頂で「ご来光」を拝めたという信者の登山者とすれ違った。
霧雨をくぐって山頂に着くと、そこは台風一過の日差しが強かった。
汗だくの着替えのため山小屋の風呂場を借りると、新潟でまたもや大きな地震があり、被害が拡がっている映像がTVに映し出されていた。
平成19年6月1日
紫陽花や菖蒲が瑞々しく輝く季節になりました。もう六月です。
先月半ば、近くの太宰府天満宮の池に行ったときはまだ菖蒲の花は咲いていなかったので、気落ちして帰ったのですが、今朝、また覗いてみると幾株か咲き始め、白、紫、桃、黄色の花びらが蕾も含めて朝日に照らされていました。
六菖十菊(りくしょうじゅうぎく)とは、時期に遅れて役に立たないもののたとえですが、この六と十を私は六月と十月と思い込んでいまいした。だが、これは誤りで、六日と十日を意味し、旧暦で五月五日の端午の節句に間に合わない菖蒲と同じく旧暦九月九日の重陽の節句に間に合わない菊のことだと電子辞書は教えてくれました。
先の総会で決め、今まさに私どもが取り組もうとしている「エコツーマーク」運動も、そのように時期遅れになってはならないと御笠川べりの紫陽花を見ながら強くそう思いました。
平成19年7月3日
梅雨の合間に日がさしてきました。青空の所々には薄い雲が、宝満山の山腹には水蒸気が立ち昇り、この一週間まだ暫くは雨模様が続きそうな気配です。
さて、麦だったか、野菜だったか前作をよく覚えていないのですが、よく通る都府楼南駅への通勤路に沿って、周囲は宅地化が迫る中、全部で一反より少し広めの田んぼがあります。
今年も、そこの田植え時期は少し遅めで、つい最近のことでした。むき出しの地肌にそこここと空き缶やゴミが投げ捨てられ余り気分のよいものではありませんでしたが、その間、畑作の後暫くそのままにほっとかれていまいた。それが、急遽水をいれ、あっという間に代掻きし、バタバタと早苗を植えたのです。もう、植えて四、五日も経つでしょうか?葉の色が黄緑から緑へといっそう濃くなってきました。
今朝、そこへ、タニシの大群が突如発生したのです。これには驚きました。まさか自然に?人為に?いずれにしろ大きさからしてタニシの子供かと思われます。
最近、川の水が一時より随分きれいになり、鯉やウグイはしょっちゅう、源流に近いところでは蛍やカジカが戻ってきて、本来の生態系のあり方に戻す人々の努力を辿って行くと胸にジーンときます。
早苗立つ 水澄む田んぼに 朝日差し 子タニシ一斉 四方に拡がる
平成19年6月1日
紫陽花や菖蒲が瑞々しく輝く季節になりました。もう六月です。
先月半ば、近くの太宰府天満宮の池に行ったときはまだ菖蒲の花は咲いていなかったので、気落ちして帰ったのですが、今朝、また覗いてみると幾株か咲き始め、白、紫、桃、黄色の花びらが蕾も含めて朝日に照らされていました。
六菖十菊(りくしょうじゅうぎく)とは、時期に遅れて役に立たないもののたとえですが、この六と十を私は六月と十月と思い込んでいまいした。だが、これは誤りで、六日と十日を意味し、旧暦で五月五日の端午の節句に間に合わない菖蒲と同じく旧暦九月九日の重陽の節句に間に合わない菊のことだと電子辞書は教えてくれました。
先の総会で決め、今まさに私どもが取り組もうとしている「エコツーマーク」運動も、そのように時期遅れになってはならないと御笠川べりの紫陽花を見ながら強くそう思いました。
平成19年4月16日
桜の早い開花、花冷えと黄砂の中で平成19年度がスタートし、先週からは、恒例の青年海外協力隊・シニア海外ボランティアの春募集が始まりました。今年度のSV派遣は政策的に120名(620名定員)増加され、十月から若い協力隊員と65日間の一緒に訓練に入るそうです。
さて、その募集説明に宮崎県を訪れると、都城近郊ではもう植え終わった田んぼに早苗が風にゆれ、宮崎神宮の大白藤の花も咲き始めて初夏の趣がありました。
そして、説明会場に参集されたかたがたが熱心に話を聴き、質問をしてくださいまして充実した夜となりました。
翌朝、宮崎神宮経由で八紘一宇の平和台公園までの駆け足を楽しみました。
擦り減りし 石の階(きざはし) 踏みしめて 八重咲く丘の 大塔見上ぐ
平成19年3月1日
二月は逃げるように去って、今年度もいよいよ今月一月になりました。あまり寒さを感じなかった暖冬に続き、昨日、今日と朝の冷え込みや日陰の冷たさはあっても、日中は春らしい温暖な日が続いています。
さて、そんな中、学校の卒業式の風景があちこちに見られるようになりました
当会でも、顧問の筑紫JICA指導相談カウンセラー、監事の佐々木カウンセラー、理事の小野カウンセラーがそれぞれの後任に後事を託して月末にお辞めになります。
指導相談カウンセリングのお仕事は、当会の活動にとっても常に密接に係わっており、また、長い間、個々の帰国隊員の進路相談役として親身にお世話いただき、本当に有難うございました。これからも、引き続きご指導、ご鞭撻を賜りたい存じます。
うっすらと 朝靄残る 都府楼に 梅の匂いや 嗅ぐぞいや増し
平成19年1月26日
大寒が過ぎました。でも、比較的暖冬とはいえまだ春先までは三寒四温が続くでしょうから気を抜けません。
さて、先週末土曜日の暖かい午後、JICA九州で初めて”就農−日本を耕せ”という帰国隊員研修会を催しました。パネリストからは、興味深い足が地についた体験談と将来像を、また、参集者もじっくり考えさせられる内容の濃い3時間を過ごしました。計画立案の段階では、人が集まるだろうかと心配しましたが、OB・OGの熱心な話に真剣に耳を傾け何か手ごたえを感じた参加者も多かったのではないかと思います。
春霞む 帆柱の峰ゆったりと 淡き山肌 息づく気配
平成19年1月12日
新年明けましておめでとうございます。正月気分も昔に比べあっという間に醒めてしまう昨今です。
他方、年賀状のやり取りも年末には書き終えて元旦に受け取っていた習慣が、今年は、3ヶ日を過ぎてもまだぽつぽつと来たりして、その点ではゆっくりしてきたようにも思えます。
また、成人式が嘗ての15日から1月の第2月曜日となり3連休になって久しく、これも徐々に定着してきたように思います。
成人式の翌日の9日(火)は、前日登った宝満山山頂での曇天の小雪日和とは打って変わって穏やかな天気でした。
そこかしこ 春の匂いの さし来れば 空行く雲も ポカリ漂う
とはいえ、大寒を前にこれからも時々寒さが続きそうです。
本年もどうか、ご指導、ご鞭撻宜しくお願いいたします。
平成18年12月5日
鉛色の空に、木枯らしが吹き、山茶花の赤い花と遅く色付いた銀杏の葉が好対照をなすなか、2006年も暮れようとしています。
先月末でつい最近のことですが、当会が昨年度JICAから受託した”女性起業家支援研修”を今年度も実施するために準備を始めていました。
すると、当該サウジアラビア政府機関、技術教育・職業訓練庁(GOTEVT)の一組織中小企業開発センター長Dr.Abdulazizが自前の資金負担で日本の中小企業関係機関の視察をしたいが、請けてくれるかとJICAのサウジアラビア事務所から直接打診がありました。
多少の無理を承知の上で、視察先、日程等を勘案し、やってみることにしました。
身元引き受けや彼の出国のためのVISA取得に必要な大使あての申請書類を国際郵便で発送し、視察先に事情を説明の上、ご協力の約束をいただいて一段落したところ、急遽、この話が国際電話を通して没になりました。
同時期に、主管大臣や王族関係者からアイルランドに出張を命じられたからとの日本にはいけなくなったとの理由でした。これぞ、まさに”インシャラー”でしょうか?
依頼済みの5組織の関係者には、早速、お詫び行脚でした。最後は福岡県生活労働部新雇用開発課でした。事務所への帰路、東公園を通り抜けようとすると、子供のうれしそうで元気な声を久々に聞き、私を嬉しくさせてくれました。
子供らの 団栗ひろい はしゃぐ声 亀山上皇 見下ろす庭で
平成18年11月7日
襟元をさっと吹け抜く木枯らしに薄手の背広もこれで着納め
暑かった秋口も去り急に寒くなりました。今日など天気図でも西高東低の典型的な冬型の気圧配置です。
さて、10月に始まった秋募集では、どうにか例年並みの参集者がありました。結果は、協力隊・日系青年で666名、SV,日系シニアVで285名で合計951名でした。
皆様がたのいつもながらのご協力ありがとうございました。
平成18年7月27日
梅雨が明けて
例年になく長かった梅雨が漸く明けようとしています。蝉の声が一段と喧しくなりました。
今朝の通勤途次、博多駅前の信号が変わるのを待っていると、同じ信号待ちで隣に居合わせた同僚の昆虫少年Nさんが横から声を掛けてきました。
「あっ!お早うございます。」
「結構、ここにもセミがいるね。」
「僕が今年初めてセミの声を聞いたのは7月12日でした。」
信号が青に変わりました。始業時間まで後5分。
「梅雨が長く明けるのが遅かったということ?ところで、この辺のセミはどこから出てきたの?ケヤキの街路樹の下から?」
「そうだと思います。」
「ミツバチ等は1〜2q、中には4qも行動半径があるらしいけど、セミはどうなんだろう?」
「昆虫の平均行動半径は2qで、飛ぶときの高さは地上1.2mです。」
「ミツバチは蜜を採集する目的があるけど、セミは子孫を残すだけだけなのかな?」
「セミは地上での生活はわずかですけど、交尾相手が近くに見つかれば、わざわざ遠くに飛んでいく必要もないのでしょうね。アメリカかどこかであった話ですが、中には地下に20年いるセミもいて、昔は沢山の木があったところが宅地化されて、木が少なくなったものだから、地上に出できたときに、残されたわずかな木を、みんな(セミ)がめざすんですよ。だから一本の庭の木にセミが鈴なりになっているようなことがあるんですね。」
「天敵は?」
「鳥でしょうね。それも大型の。」
「すずめが食っていそうもないね。」
やがて、<ヒサヤ大黒堂>の看板が近づきそこの信号が赤になったところで、手前を左折し車道を横切って事務所の裏側入り口に急ぎました。
平成18年6月1日
本格的に、梅雨に入ったのか、蒸し暑く感じるこの頃です。
先月20日には、お蔭様で、第2回通常総会を終了し、当会も3年目の活動に向かって新たに一歩を踏み出すことができることとなりました。
改めて、皆様に厚く御礼申し上げます。
総会の翌日は、大分県別府市での大分県青年海外協力協会の総会(同日の長崎県青年海外協力協会の総会には山部会長が出席)が開催され、帰国隊員と共に初めて総会に出席させていただきました。
総会後、帰路はこの春までNHKの朝の連続ドラマで話題になった由布院温泉に一泊し、高校時代に登った由布岳やそのまわりの長閑な盆地の景色を愉しみました。朝から眩しいくらいに晴れて上がり新緑が鮮やかでした。
道端に 坐りて無心にスケッチす 由布岳 湯煙 若ツバメ
平成18年4月25日
遂この前平成18年の新年度になったと思っていたら、もうじき4月も終わろうとし、来週は大型のGWが待ち受けています。時間が流れるように去っていきます。
それもそのはず、3日のアクロス福岡を皮切りに毎週のように九州全域で、ボランティア募集説明会のため飛び回っていたからです。
そこでは、桜に始まりパンジー、チューリップ、躑躅、蓮華草、石楠花、馬酔木、藤と色とりどりの花との毎日でした。
藤は、まだ北のほうではこれから咲き始めるところもありますが、水俣のJR沿線ではもう先週始めには満開でした。
もうそこに 藤の花房 垂れ咲きて 子規なき春は 去り行かんとす
平成18年3月1日
2月はあっという間に逃げるように去っていきました。
もう、今日から17年度の年度末の3月です。
年度末には、大概の場合、決算や人事異動そしてそれらに付随する色々煩雑な事柄が纏わりついてきて誰しも何かしら慌しい気分になります。
私が勤務したタイ、タンザニアそしてネパールの年度末は、国民性や気候条件もあるのかもしれませんが、至ってのんびりしたものでした。
一つには、日本で見られるように経理面での決算とりまとめに精密に予算との帳尻を合わせたり、何時いつまでに何をどうしなければならないとの観念が一般に薄かったように見受けました。いや、その前に予算が、年度末までには殆ど消化されているため、そもそも、年度末になる前に仕事自体がないというのが実態だったように思います。
他方、垣間見たところでは人事異動のほうは、年度末のみならず、何処も同じで縁故を頼り情実に訴えたりして自分に有利な環境を作るのに腐心しているようでした。
今朝から、冷たい雨がやみません。
梅蕾 雨雫湛えて 風に揺れ
平成18年1月11日
明けましておめでとうございます。今年も皆様からのご協力、ご鞭撻どうか宜しくお願い申し上げます。
東北、北陸地方では年末から新春にかけて異常な寒気が流れ込み、各地で豪雪にみままれて人々は除雪と災害対策に追われる、そんな気の毒なニュースが連日のように続いています。 けれども、此処博多周辺では昨日あたりから厳しかった寒も緩み日差しも幾分穏やかさを増してきたような気がします。
さて、NPO法人になって1年以上が経ちました。設立当初の熱気は冷めつつありますが、その分、足が地に着いた地道な活動を一つずつ積み重ねていこうと思います。
有明の 旭を左に薩摩路を ツバメは向かう 鹿屋の杜に (2005,12,19)
鹿児島県から指定管理者制度でアジア太平洋農業研修センターの業務委託決定の直後に。
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